南極家族だより

  第10次隊が昭和基地で越冬した当時(1969年)、 昭和基地と日本との通信手段は短波通信だけで、 電電公社銚子無線電報局を通じてモールス信号(俗称、トンツー)による無線電報を中心に無線ファックス及び無線電話も利用できました。

  ここに掲げる「南極家族だより」は、 無線電報によって送られたカタカナ文字の電文を東京の南極事務局が和文に解読して、 国内(内地)の留守家族に配布したものです。

  解読する時点で、内容の一部に誤読があるかも知れませんが、 発信者隊長(楠宏)の意とするところは伝わっていると思われます。

(鈴木剛)




昭和44(1969)年6月25日

国立科学博物館 極地研究部


南極家族だより 号外3号


(6月10日 南極観測統合推進本部受信)

  発:第10次越冬隊長

  宛:第10次隊家族会


 “ミッドウィンターのお祭り1”を旬日にひかえた昭和基地の一日をお伝えしましょう。

 24時間観測が続けられている基地では、24時間人の動きがある。

 午前0時、不寝番に当たった隊員は、火の元、水道、電気などの点検にあちこちの建物を巡回する。夜半に現れるオーロラを待ち構える観測グループ、午前2時半にラジオゾンデを揚げる気象観測隊員らが、食堂で夜食を食べている。不寝番は2時間おきに各所を点検する。

 午前5時、通信棟からテレタイプの音が聞こえる。ラジオゾンデの観測結果を、気象電報としてモーソン基地へ打電する通信隊員。

 午前7時、起床のサイレンが鳴り、昭和基地の昼間の一日が始まる。この頃、安静時の基礎代謝を測るため個室を訪れる医学研究担当隊員も見られる。基地で生活する隊員は、2名づつ交代で当直に当たっている。食事の配膳、食堂その他の掃除、給水車を運転しての水汲みなどの仕事がある。

 毎週火曜日には機械洗濯があり、30キロに近い洗濯物と格闘する当直番の姿を発電棟の一隅に見る事もある。薄汚れた下着、ボウボウと伸びたひげや頭髪といった前世紀の英雄的探検家の像は、姿を消したこの頃である。

 正午、薄明かりのうちに昼食(12:00〜13:00)のサイレン。毎週水・土曜日は入浴日で、年齢順(ここでは、背番号順と称し、何かにつけて利用される)に午後1時過ぎから始まる。毎回、湯上りの缶ビールがミナを喜ばせる。午後は、あちこちが活気づく。故国への電報が打たれるのもこの頃である。

 午後5時半、バー「10(イチマル)」の灯がともる。従来食堂であった建物を昨年からレクリエーションルームとして衣替えした娯楽棟には、玉突き、ダーツ、音楽、そしてバーと一流品が揃っている。6時からの夕食前に一杯という訳である。

 夕食には時々酒やビールが付き、特に土曜日はご馳走が出る。更に、月半ばの土曜日と月末の誕生祝いは楽しみである。シャンパン付きのフルコース、スモルガスボード、寿司、おでん、焼き鳥などの模擬店といった趣向である。

 食後は、各種ゲームに打ち興じたり、毎週水・土曜日の映画を楽しんだりする。第九次倉庫の片隅で葉書大のガリ版の新聞を刷っている姿が見られる。横書きで500〜600字のものである。誌名は「S10(エステン)トピックス」とでも読むのであろうか。数名の隊員が、交替で執筆・印刷 をしている。時には深夜に、時には翌朝に配達される。去る5月31日、第百号記念として全隊員の投稿があった。

 午前0時、個室はもとより、廊下、サロンに絨毯を敷いた居住棟は、ファーネス(暖房機)の音が響くのみ。夜の勤務に就く者であろうか、個室を出てこちらに向かって来る人影が見える。また、一日が始まる。


 「各隊員、元気でその任務に就いていますので、何とぞご安心下さい。」



  1 「ミッドウィンターのお祭り」とは、日本の夏至(21日)に当たり、南極では冬至に なります。年1回の南極における国際的なお祭りで、どこの基地も真冬を祝い、この日 は仕事を休みます。





昭和44(1969)年10月2日

国立科学博物館 極地研究部


南極家族だより 号外4号


(9月29日 南極観測統合推進本部受信)

発:第10次越冬隊長

宛:第10次隊家族会


 中秋の名月は、日本各地の多くは晴れ。昭和基地も晴れのこの頃、こちらはとみに春めいてくる。夜の時間は数時間、オーロラともここ数日で別れを告げるとあって、深夜も人の動きが激しい。通路の天井に咲いた霜の花も、日の当たる半面は溶けている。

 去る25日、内陸デポ旅行から帰った隊員の中には、10月の声を聞くと、また野外調査に出て行く者もある。ペンギン、アザラシが再び姿を現すのもこの月です。その観察は欠かせない。こんな風に昭和基地では人の出入りが激しい昨今である。

 同じ釜の飯を食って約半年。隊員の多くがニックネームを持っても不思議ではない。基地の日刊紙「S10トピックス」(まだ休刊日なし)に、あだ名が現れるのはめずらしくない。ポーリン、ゴエサン、エッサ、オマツリ等、はては愛妻の名を付けられた者もいる。そのタネ明かしは帰国後のお楽しみに…。あるいは、早速問い合わせるご家族もあろうと思われるが、ともあれ、すっかり気心の分かった29名が毎日を愉快に過ごしているので、ご安心頂きたい。

 帰国まであと半年、それも来年1月には「ふじ」からの第1便が来るとあっては、越冬生活もホームストレッチに入ったというところ。11月には、やまと山脈を含む内陸調査旅行が始まる。ゴールへの山場の一つであり、関係隊員は準備に余念がない。調査旅行残留組にとっては、来年1〜2月は第11次隊を迎え、輸送・建設で大車輪の時期。外に出る者、内に残る者、共にこれからの半年を実り多く過ごしたい、というのが全隊員の願いである。