南極家族だよりと私

国立極地研究所  長谷川 慶子

  たぶん南極の地を踏むこともなく、三十数年近く南極の地に思いをはせながら仕事を終えるのではないだろうかと思う。南極の仕事に携わり一筋、山有り谷有り、多事多難、いろいろあったが、それでも仕事をやめることは一度も考える事無く、現在に至っている。

  私は15才から19才までいすゞ自動車に勤務していた。当時企業内新聞に第一次隊の大塚さんが南極に参加した記事を見た ことをうっすらと覚えている。なにが縁か、その後大学を卒業したあと、南極と深く関わることになる。南極という未知の世界がそうさせるのか、以前の職場で は味わえない夢とロマンが渦巻いており、そこに集まる男達はそれを求める男の中の男というイメージがぴったりで魅力的であった。私も男に生まれ、南極に行 きたいと何度思ったことだろう。当時は体力もあり、怖いものなど何もない無鉄砲な若さがあったから。

  第八次観測隊の越冬している時にこの仕事につき、九次、十次、十一次隊が、私の心に一番残っている観測隊である。家族会 の仕事、観測隊装備や食糧の準備の手伝い等をしたからだろう。また当時は手狭な場所で隊員さんとみんなで一緒に隊の出発準備の仕事をしていたので、親密さ も今とは格段の違いで、アットホームな雰囲気がみなぎっていたのは当然のことだろう。

  現在の極地研究所は上野から板橋へと移転し、私の職場である図書室も板橋に移ってから3回引っ越し、四度の引っ越しでも 処分されずに、大事に残されている「南極家族だより」はきっとこんなこともあるだろうと残されていたのではないだろうか。でも残念なことに第1号が残って いない。最後は11号で 1970年8月30日で終わっている。その先がどうなったのか覚えていない。多分職制の都合上、私が観測隊の仕事か図書室の仕事かのどちらかを選ばなけれ ばならなくなり、後者を選び、それから隊の仕事から手を引いたからだろうか。

  ガリ版刷りのこのたより、残されていて本当によかったと思う。私の青春時代の思い出がいっぱい詰まっており、どの記事も 家族の皆さんに思いを置いて、書いていたことを思いだす。久しぶりに手に取って見ると、忘却のかなたの思い出がよみがえり、今では想像も出来ないガリ刷り に懐かしさを覚える。

  当時、昭和18年生まれは隊員さんでも確か若い方に属していたと思う。私も18年生まれ、確実に歳を重ね、皆さんの後を追って少子高齢化社会の一員になりつつあります。南極29人衆の皆様の未来(老後)が実り豊かで、健康でありますことを心よりお祈り致しております。



  (2001年9月支笏湖S10総会のために執筆された)