巻頭

エステン    

  日本南極 地域観測隊第10次越冬隊は、昭和基地においてS.10トピックス社を設置し、日刊新聞「S.10トピックス」 (B6版ガリ版印刷)を1号から365号まで発刊した。

  この新聞の中に、蜂須賀弘久記者(H)の執筆による、昭和基地での生活に係る記事『生活のおちぼ集』がシリーズで掲載されている。

  これら『生活のおちぼ集』の中で、個人的な記述のある記事(No.278、No.285)を除た7編をここに紹介する。また、一部記事については表現を修正した。

(復刻版作成:鈴木剛彦)




生活のおちぼ集


目次


  1969年 11月4日 No.257  (そのT) 打ちも打ったり

      11月11日 No.264  (そのU) 観測隊員の歩数

      11月18日 No.271  (そのV) 越冬隊員の年齢

      12月10日 No.293  (そのY) 水の消費量

      12月16日 No.299  (そのZ) 飲みも飲んだり

      12月23日 No.306  (その[) 少なかった米食

  1970年 2月5日 No.350  (最終回) 精力善用




 S.10 トピックス   No.257        4.Nov.69

  生活のおちぼ集(そのT)       打ちも打ったり

  電報料金は2万円で足りる。」と、内地を出る前は思っていたのに、通信の浅野通信士の報告によると、10月末までに9名に対して料金の追徴が行われた模様である。

  勿論、個人的には打たないのによく来る果報者もいるはずだが、どちらかと言うと、打つ割に返事の来ない打率不振の者が多いようである。

  カアちゃんの悪口を言うのも基地ならではの風景だが、カアちゃんが“打たねば響かぬ太平洋型”なのか、或いはこちらが少しマメ過ぎるのかは、神ならでは知る由もない。

  今、3月以降の私電の発着の傾向を調べてみると、通数は6〜7月をピークとしているが、ほぼ平均化して発信177通(月1人当り 6.1通)、着信159通(5.5通)となっている。発信より着信が多かったのは6月に僅かにみられるが、各月とも着信は発信の8〜9割の線を維持している。

  ところが字数になってくると、この傾向は発着ともぐっと顕著な山型になってくる。即ち、6月発信が21,242字、着信24,817字、7月発信29,588字、着信23,496字とピークを示し、8月以降減少傾向にある。しかしながら、8月の発信字数は3月の15,753字に対して18,909字、着信も15,660字に対し18,909字(?)と、通数に比し濃度がかなり密になってきている。また、発着信がほぼ同傾向ということからみると、電報料金1万円追加ということは、先の2万円と併せて、1年間にオヤジ+内地で、計4〜6万円の料金となるはずである。

  参考までに、個人の発信字数の最少は8字、最多は475字。着信のそれは8字と722字がレコードとなっている。

(H)





 S.10 トピックス  No.264       11.Nov.69

  生活のおちぼ集(そのU)       観測隊員の歩数

  “ふじ”出港も旬日を残すのみとなり、我々の越冬生活も漸く終わりを告げようとしている。

  その間、多くの人々が万歩計をぶらさげて歩数を記録しているが、人によっては“ふじ”出港前から測定しているので、1年経った今、その記録に表れた実態について調査した。もちろん、計器の精度・不規則な運動による測定誤差があると思われるが、測定値の平均値的推移についてはかなり面白い成績が得られている。

  “ふじ”出港前の10日間の記録を平均してみると、約1万歩である(出港前で多少多い気がするが‥)。ところが、船に乗った途端 5,600 に歩とガタッと落ちて、しかも個人差が非常に少ない。これは、フリーマントル(オーストラリア西海岸の港)を出て昭和基地に入るまでの船内生活も同様である。

  しかし、フリーマントルでは、閉鎖された船からの解放感もあって約15,000歩と大きく跳ね上がっている。ところが、昭和基地に入ると、これは更に大きく跳ね上がり、1月には約17,000歩と建設作業中の行動量の烈しさを物語っている。この間、人によっては約3万歩を記録した人もいる。その後、徐々にこの数値は下がり、6月には5,900歩と期間中の最低の記録を示している。

  職業別では、室内観測部門の人が最も少なく、低い傾向を表わしている。比較的季節に関係なくコンスタントなのが、調理の村上隊員であるのも面白い。

  今後、我々は再び夏期間を迎えるのであるが、果たして内地並のレベルまで戻るか否か。何れにしても、昭和基地での生活は、蟄居生活を余儀なくさせる自然条件と観測条件下にある、と言わねばならない。

(H)





 S.10 トピックス   No.271      18.Nov.69

  生活のおちぼ集(そのV)       越冬隊員の年齢

  我々が日本を出発する時は、“10次隊の若さ”を指摘する論調が多かった。南極経験者や山岳経験者が少なく、言わば南極アマチュア観測隊で、年齢の若さと共に経験の若さが今後の隊運営にどういうふうに表れるか、という事を好奇の目で見る人が多かった。

  “果して、10次隊はそれなりに“若さ”を発揮したかどうかという事は、残る2ヶ月余のうちに、各人が整理してみる必要があろう。本紙でも、この点に関しては、いろいろな角度から掘り下げてみたいと思っている。

  マラソンをやったり、各種の行事や作業に、総員がそのエネルギーをぶちまけてきた実感から言うと、確かに10次隊には若さがあったように思うが、果して10次隊は実際に若いのか‥‥?

  今、この問題を検討するために、過去7回の越冬隊員の年齢を南極6年史や越冬報告書で調べてみると、10次隊は実際に若い。人数が28名というのは最大であるが、隊員の平均年齢は30.6才になり、それは4次31.1才、5次32.6才、8次33.2才、3次33.8才、7次35.3才、1次36.5才を遥かに凌駕している(2次隊、6次隊は越冬者なし。9次隊のは手許に資料がなく不明であるが、10次隊より若また、10次隊の年齢別分布は、24才以下2人、25〜29才14人、30〜34才4人、35〜39才6人、40〜44才1人、45才以上1人と、底辺の張ったピラミッド型になっている。

  果して、今後の日本南極観測隊がより若返るか、或いは壮年中心でいくかは、案外10次隊の観測成果や生活経験が参考になるのでは なかろうか。

(H)





 S.10 トピックス   No.293         10.Dec.69

  生活のおちぼ集(そのY)       水の消費量

  基地生活を維持する上で、水は欠くことの出来ない絶対条件であり、2月から11月末までの水の総消費量について調べてみると、次のようになる。即ち、10ヶ月で約 450トン(詳しくは442,617リットル)、月平均約45トン、1日では約1.5トンになる。10次隊は29人越冬しているから、1人当り1日平均50リットルを使ったことになる。これは、7次越冬隊(18人)の1人当りの使用量41リットルに比して、かなり多い量とみなければならない。

  10次隊の最大の特徴は、水の使用に関して、今日まで制限措置を取らなかったことである。特に、今回は非常に長期間の水汲みが可能であったため(8月18日まで実施。過去の例、7次隊:6月7日、8次隊:4月5日、9次隊:4月12日)、風呂、洗濯は殆ど予定どおり実施されて、清潔な生活が確保されたと同時に、観測その他の仕事にかなりの時間的貢献をなした。

  今、月別の水消費経過を図示すると右のようになる。即ち、夏場の水消費が最も多く(約1.8トン)、その後ずっと減少傾向にある。また、曜日別に見てみると、風呂のあった水曜と土曜日が最も多く1.6〜1.9トン、月曜と金曜日の約1トンが調理その他の生活の必要量を示しているのであろう。また、1日の消費量の最大は4月9日(水曜日)の3,092リットル、最少は7月30日(水曜日:ブリザード襲来)の333リットルであった。

  水汲み開始は12月8日(月曜日)で、過去の隊より早いのも特徴である。因みに、7次隊は12月12日、8次隊は12月28日、9次隊は 12月22日。何れにしても、10次隊は気象条件に恵まれたことと、ブルドーザーの活躍による道路の整備、機械・設営隊員の車の保守への努力が今日の成果をもたらしたのであろう。

(H)





 S.10 トピックス  No.299         16.Dec.69

  生活のおちぼ集(そのZ)       飲みも飲んだり

  酒が嗜好品か必需品かの論は俟つとして、「ワインのある食事を!」と言うのが、10次隊調理担当者の大きな使命であった。それ だけに、肉類、魚類の蛋白源の補給を考えた酒の使い方は、この1年の間充分に行われた。勿論、飲む酒の量には個人差があり、一概に論ずる訳にはいかないが、少なくとも食堂で皆の食用として供給された酒についてのみ考えるならば、次のようになっている。

  10次隊持参の酒は、清酒(1合瓶)4,060本、缶ビール(350ml) 3,000缶、瓶ビール(633ml)120本(これは全部船上用で今後の計算に入れない)である。それに9次隊の残りの清酒(1合瓶)600本と冷酒(500ml)200本も、この1月末までに消費する勘定になっている。

  “若さの10次隊”らしく、飲み食いに関しては抜群で、一滴も残らないという。今、仮にその総量を越冬1年間で計算してみると、約2,000リットル(正しくは1,988,800ml)の消費となる。だから、1人1日当りにすると毎晩酌に約180ml(1合)の酒またはビールが飲まれたことになる。

  その他に、ワイン(720ml)146本、シャンパン(720ml)36本、梅酒(1升瓶)10本、養命酒(720ml)10本、コンクウイスキー 150リットルを用意したが、目下のところ養命酒数本を除いて完全消費だそうである。

 また、清涼飲料として、カルピス(633ml)180本、オレンジカルピス(500ml)60本、コカコーラ(250ml)3,000缶、バヤリースオレンジ1,920缶、ジンジャエール(250ml)120本、コンクジュース(600ml)96本を消化している。ことトマトジュースに至っては、10次隊分600缶の他に、8次隊の残り2号缶240缶、9次隊の残り600缶が既になく、無類の食欲旺盛さを示している。

  この陰には、調理担当者の季節ないしは食質に合わせた各種の配慮があったればこそで、また清涼飲料に関しては、これまでバーに あった冷蔵庫を食堂に入れ、常時多くの人々に手軽に利用してもらえるよう管理された、ということも一因であろう。

(H)





 S.10 トピックス  No.306        23.Dec.69

  生活のおちぼ集(その[)       少なかった米食

  “寝ること”と“食うこと”と“動くこと”は、健康生活を維持する上で欠くことの出来ない絶対条件である。特に、南極のような自然条件の厳しい所で1年の越冬生活を終え、存分の観測成果を挙げるためには、如何に食べ、如何に働くかということが重大な問題になってくる。

  ここで、10次隊の持って来た食糧、取り分け米の問題について検討してみると、米食中心の日本人的食事をかなり脱却していたことに気がつく。即ち、米は来年1月末で持参した2,800kgを全部消費するそうである(渡部調理主任談)。今、これを算術平均(越冬29人)すると、1日当り7.6kg(約5升)、1人当りにすると1.7合(残飯率を考慮すると約1.5合)の摂取になる。この他、週1〜2回のパンまたは麺類があったにせよ、米によって腹を膨らませる献立は越冬当初から少なかった訳である。

  隊長は、“隊員には良質の動物性蛋白を‥”ということを主唱され、調理担当隊員は、これに如何にバラェティを付けるか、という ことに腐心した訳である。

 因みに、今回基地に持って来た肉類は、日本とオーストラリアで購入した分を含めて、牛肉1,045kg、仔牛肉270kg、豚肉480kg、とり肉(骨付)460kg、子羊肉270kgの計2,525kgである。

  廃棄率、残菜率を見込んでも、毎日200g程度の肉類があり、それに魚類、肉加工品、乳製品、油脂類、さらに植物性蛋白(味噌、豆腐)などを入れると、さしずめ“蛋白の10次隊”と言っても過言ではなかろう。

(H)





 S.10 トピックス   No.350        5.Feb.70

  生活のおちぼ集(最終回)       精力善用

  若さの10次隊”と言われる反面“知性の10次隊”とも言われる我々は、“SEX”という欲望に打ち勝って、清潔そのものの1年であったが、昭和基地の生活史を論ずる場合には、これでは余りにもきれい事過ぎるようである。

  「何故か?」 私はある時、山上の若い修行僧に聞いたことがある。この人は「生涯、山から出ないことが分かっていても、なお且 つ、ヒトの欲望は押さえ難い悩みである。」と‥‥。因みに、この人の食事は1日2,200カロリー、蛋白60g(1.14g/kg)で、極めて質素なものであった。特に、動物性蛋白の摂取は皆無で、健康上は何ら目新しい知見はなかったが、生理的には副腎皮質機能が低下していて、性的欲求は自然的に押さえられるという、逆説的にみれば合目的な食事をしていた訳になる。

  ところが、我々の場合はどうか。“蛋白の10次隊”(既報No.306)と言われるほど動物性蛋白の摂取は多く、しかも生活の規制は殆どない訳であるから、その蓄積されたエネルギーは何処へ行ったのかと疑いたくなる。ある人は「それを仕事に振り向けた。」と言う。 それも然り。しかし、過去の華やかな経験が生きている以上は、これのみでは解決出来ない。

 筆者の独断かもしれないが、それはかなり『運動』に置き換えられた、と言っても過言ではなかろう。即ち“知性の10次隊”は“ゴーゴーの10次隊”であり、“お祭りの10次隊”でもあった訳である。フォークダンス・ゴーゴー・卓球・マラソン・ソフトボール・サッカー・スキー・スケート・ストーム・ピクニック・魚釣り・剣道・ボート・洋弓・ビリヤード・ダーツ等々数え上げれば切りがない。

  これらの運動が“SEX”の昇華を果したと同時に、チームのまとまりを高めたのではなかろうか。ここに、基地の生活管理の面白さがあり、小さいながらも娯楽棟の果した役割があった、とみなければならない。

(H)